利用者様のご家族から頂戴した言葉を紹介いたします。
開院20周年に寄せて
私の知るかつての長者原、茶畑以外に何もなかった様に記憶致しております。
創設者の先代会長様が、「あんた方が年を取って病気をした時、安心して入れる病院や子供の世話にならんでもいい様な施設をこしらえるけん。」と、常がねお話なさっていたのが、ついこの間の様な気がします。
人は年を取ると一人では暮らせません。亡き先代の意志を継がれ、現2代目会長様により高齢者医療と福祉の巨大な施設を築かれた事は、私ども一人暮らしで年々身も心も固まってしまう年寄りにとって、何か希望の光を頂いた様な気が致しております。
院長様や看護部長様を先頭に大勢の職員の方々から親身も及ばぬ様な暖かい介護の手を差延べて頂き、家族共々感謝の念でいっぱいでございます。
出雲市で初の病院と併設の老人養護施設として
高齢化が急速に進んでまいりました日本、特に、島根県においてはその深刻さが問われます昨今、出雲市で初の初の病院と併設の老人養護施設として注目視されました。
寿生病院、寿生苑共に環境は大へんよく素晴らしい場所にあり、設備はもとよりスタッフの皆様方の心暖まる看護によって、入院者や入苑者の心のケアは家族も家族も安心してお願い出来る程の充実さでした。
早いものでこの度20周年を迎えられ心よりおよろこび申し上げます。寿生苑の開苑間もない頃より私家の母も入苑させていただきました。
長い間病院や苑でお世話になりましたがその間一の谷公園での花見、又演芸会色々な催し等もされ私もいっしょに参加させて頂いた行事もあり母も満足した入苑生活が出来て本当に感謝致しております。今度更に充実された病院を新築されて間近オープンの運びとなり出雲市民はもとより近隣の方々にとっても嬉しいかぎりでございます。
闘病生活10年 妹の死に思う
私の妹が亡くなりましたのは、やっと還暦を迎えた1月の初めでした。難病と診断が出てから10年、身内の者は随分と悩みました。初期のころは主人(妹の夫)が連れて島根医大へ通院しておりましたが、次第に病状は悪い方へ進み、手足が不自由になり食事も自分で食べられず、トイレにも行けないようになってきました。子供たちは皆遠方に住んでおり、何もかも夫の手に掛かるようになりましたが、長い間の病人を抱えての生活で精神的に大変だったと思いますが、一生懸命に看護して下さりました。昭和61年の8月、高熱が出て島根医大へ入院、翌年2月末、寿生病院(出雲市)へ転院しましたが、それから2年10ヶ月の長い間、先生、看護婦の皆さんに随分とお世話になりました。
寿生病院には面会時間の規則がなく、いつでも面会ができたことがとても助かりました。受付の方はもちろん、いつ来院しても気持ち良く迎えて下さって、病人の病状なども詳しく話して下さる優しい看護婦さんもあり、あの顔この顔と、今でもよく思い出します。病状が悪くなり危険な時が何回かありましたが、その都度、付き添いでいても看護婦さんの優しい心配りは頭の下がる思いでした。
最後まで最高の医療施設にいた妹にきっと悔いはありません。
職種 / 募集ポジション | 利用者家族の声 |
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雇用形態 | 正社員 |
給与 |
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勤務地 | |
会社名 | 医療法人壽生会 |
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代表者 | 理事長 宮本晋吾 |
本社所在地 | 〒693-0022 島根県出雲市上塩冶町2862番地1 |
創業年月日 | 1984年5月2日 |
資本金 | 6,800万円 |
従業員数 | 305名 |
事業内容 | ■寿生病院 239床(医療療養病床239床) 診療科:内科、整形外科、リウマチ科、リハビリテーション科、神経内科、呼吸器科、精神科 〒693-0022 島根県出雲市上塩冶町2862番地1 ■介護老人保健施設寿生苑 100名(多床室・個室) ・通所リハビリテーション(40名/日) ・訪問リハビリテーション 〒693-0022 島根県出雲市上塩冶町2862番地1 ■グループホーム寿生の家 認知症対応型共同生活介護:18名 〒693-0022 島根県出雲市上塩冶町2854番地3 ■デイサービス寿生の家 地域密着型通所介護:15名/日 〒693-0022 島根県出雲市上塩冶町2854番地5 ■寿生在宅介護相談センター 居宅介護支援事業所 〒693-0022 島根県出雲市上塩冶町2862番地1 ■寿生訪問看護ステーション 〒693-0022 島根県出雲市上塩冶町2862番地1 |
関連法人 | 社会福祉法人出雲南福祉会 https://www.izumo-minami.jp/ |