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現在、人事には「理」(理論・理屈)と「情」(情熱・熱意)のバランスをとりながら、組織を読み解く力が求められています。人事の3Kと呼ばれる経験、勘およびコツに頼るだけでも、数字を追うだけでも、経営は動かせません。データを起点に、人の行動や組織の文脈を読み解き、両者を往復しながら仮説を立てていく思考が必要となります。
本記事では、東洋大学経営学部教授 西村孝史氏に、人事が経営の意思決定に貢献するための視点を伺いました。
プロフィール
西村 孝史
東洋大学経営学部教授 博士(商学、一橋大学)
制度運用から経営戦略のパートナーへ──変化する人事の役割
──近年、人事の役割が変化しているといわれています。どのような点に変化を感じていますか?
人事の役割は、給与計算や勤怠管理などの管理業務から経営戦略のパートナーへと進化していると感じます。その背景には、企業を取り巻く環境と、組織に求められる機能の変化があります。
もともと「戦略人事」の考え方は、1990年代ごろにデイビッド(デイブ)・ウルリッチが提唱し、世界的に広まりました。日本でも、人事戦略が経営戦略と連動するように、人事部門がより経営層に関与できる存在になることが重視され始めています。
時代が進み、現在は人事部門が戦略立案に関与するだけではなく、「組織力をどのように高めるか」といった新たな役割が求められています。ダイバーシティの進展により、異なる価値観や働き方を持つ社員をどうまとめ、組織として力を発揮させるかが課題です。
──組織開発の重要性が高まっている背景には、どのような要因があるのでしょうか?
組織開発の重要性が高まっている背景には、「ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)の拡大」と「人的資本経営の浸透」があります。少子高齢化やグローバル化、テクノロジーの進展によって働く人や働き方が多様化し、組織のあり方そのものが問われるようになりました。
かつての日本企業は「新卒・男性・正社員」といった同質性の高い組織で成り立っていましたが、現在は限定正社員、非正規雇用、副業人材、リモートワーカー、多彩な人種、介護をしている社員、病気を抱えながら仕事をしている社員などが共存する多様な職場環境です。このような人材を束ねてチームとして成果を挙げるためには、組織そのものをハードの設計のみならず、そこで織りなされる関係性の在り様に目配せをすることも重要になっています。
また、人的資本経営の考え方では、経営戦略と人事戦略を連動させ、「どのような人材をどう組み合わせるか(人材ポートフォリオ)」を設計することが求められます。組織としての総合力を最大化するうえで、人事が中心となって組織づくりを担う時代に変化しているのです。
納得感のある評価を効率的に行うための仕組みを整備し、従業員の育成や定着率の向上に効果的な機能を多数搭載
・360°フィードバック
・1on1レポート/支援
・目標・評価管理
・従業員データベース など
経営に生かすために自社に合わせたKPIを設定する
──KPI(Key Performance Indicator)を導入しても、経営に生かしきれていない企業もあります。経営に響くKPIを設計するためには、どのような考え方やプロセスが必要でしょうか?
大切なのは、KPIを信頼関係の課題として捉えることです。
どれほど緻密な指標を設計しても、経営層が人事を信頼していなければ、その数字は経営判断に影響しません。逆に、人事が戦略パートナーとして信頼されている企業では、指標の価値が経営層に届きやすくなります。
また、KPIを自社に合わせてカスタマイズする視点も欠かせません。
他社の指標を真似ても意味がありません。たとえば「離職率」なら、全社平均や部署ごとではなく、「うちの会社はこの指標を見れば人材の問題が分かる」ようなものを経営層と人事で握っておくことです。たとえば、ある会社では、ハイパフォーマー層や次世代リーダー層の離職率を追うことを経営における人材の指標としています。
指標を運用する際には「誰に・何を聞くか」を正しく認識しましょう。
人事哲学レベルの意見は経営層から、現場の運用課題は担当者から聞く、といったように。両者の声をすり合わせることで、KPIは現実的な指標になります。
──KPIの運用を「経営との対話」に変えるために、人事側が意識すべきことは?
KPIは、経営と人事を結ぶ共通言語です。
経営は数字で意思決定し、人事は人の動きで組織を理解します。数字を提示して終わりではなく、「この指標が示す組織の意味」を言語化する必要があります。数字の背後にある人の動きや感情を説明できる人事は、経営会議でも発言力を持てる「武器」を持っています。
人事のデータ活用を阻んでいる「個人の」経験依存
──企業で人事によるデータ活用が進まない要因には、どのような課題があると感じますか?
最大の課題は、仕組みよりも個人の経験に依存していることです。「個人の」経験則を、AIを活用して可視化することで、「何となく思っていたことが明らかになった」「実はこうなっていた」などを公にすることが第一歩です。
データ活用が進んでいる企業には、AI活用者の存在があります。たとえば、元システムエンジニアが人事部門にいたり、データ分析に関心を持って独自に学び進めている担当者がいたりすると、プロジェクトが自然と動き出すでしょう。
一方で、そうした人材がいない組織では、どれほど高性能なツールを導入しても定着しにくいのが現状です。人材不足と知識の偏在が、HRデータ活用を止めているボトルネックになっています。
さらに構造的な課題として、人事データの主導権が人事部門ではなく、財務や経営企画に移っている点も挙げられます。
勤怠・教育・評価といったデータは人事が保有していても、統合・分析するのは人的資本経営における情報開示とあいまって広報や経営企画部門、および財務部門など、他部門になっていることが多いのが現状です。
結果として、人事がデータの収集役にとどまり、意思決定の場で主導権を握れない状況が生まれています。
──では、人事がデータを使いこなせるようにするには、どのような仕組みや考え方が必要でしょうか?
人事のデータリテラシーを高める意識を持ちましょう。
現在は無料で高度な分析ができるツール・教材が多く、学ぼうと思えば誰でも使える時代です。外部に頼らなくても自前で分析できるレベルまで引き上げることで、人事のデータ活用が進みます。
同時に、組織として学びの場を外部に広げることも有効です。
たとえば大学との産学連携を活用し、企業の実データを提供して、ゼミのプロジェクトとして学生に分析を実施してもらいます。その際、企業側の若手の人事担当をチューター(伴走役)として配置すれば、進行管理だけでなく、学生とのコミュニケーションを通じて自社理解と同時に統計処理の知識も深まります。
このスキームですと、優秀な学生を採用候補として見極めることもできますし、大学は産学連携および研究成果を、企業は若手育成と採用候補者を得られるので、「三方よし」の仕組みです。
私のゼミでも企業と大学との共同プロジェクトを通じてこのような取り組みを実施していますが、統計リテラシー・育成・採用が同時に実現できる好例だと感じています。今後は少しずつスケールアップして人事管理や労働経済、人事経済学などを学ぶ他大学のゼミにも声がけをすることで、ジョブ型時代の大学と企業のシームレスな採用を確立したいと考えています。本プロジェクトに興味のある方は、ぜひご連絡ください。
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AI時代の人事に必要なのは、「問いを立てて設計する力」
──少子化や労働力人口の減少が進む中で、人事によるデータの活用はどのように進化していくとお考えですか?
AIを使うことで効率化が図れる一方、人事には「人間にしかできない意思決定」が求められるようになると思います。
AIや機械学習は、あくまで過去のデータとその答えを学習してルールを導き出す仕組みです。そのため、過去から得た情報による再現や最適化には強いですが、まったく新しい環境に対応するゼロイチの人材像を生み出すことはできません。
他方で、AIによって業務が効率化されることで、人事担当者はより創造的で戦略的な仕事に時間を使えるようになります。海外の調査では、AIが進展することで人間に残る(人間に向いている)仕事は、3つのE(経験:Experience、感情:Emotion、共感:Empathy)であるといわれています。戦略とリンクした人事戦略(理)だけでなく、バリエーションが増えつつある社員に寄り添う人事(情)も必要なのです。
──人事がAIに代替されない力を磨くにはどうすればいいでしょうか?
「ジョブ・クラフティング(Job Crafting)」の意識を持つとよいでしょう。具体的には、日々の業務で小さな創意工夫を積み重ねることです。
これまでA→B→Cと行っていた作業手順をA→C→Bに変えてみたり、「この人ともっと関係を深めたら、仕事がスムーズになるかも」と動いてみたり。
ジョブ・クラフティングの積み重ねによって、人間ならではの創造性を磨く土台になると考えます。AI時代における人事の価値は、「自分の仕事をどう再設計できるか」という発想にあると思います。
──改めて、これからの人事像としてどのような視点を持つことが大切だと考えますか?
これからの人事は、問いを立てる力や、現象と現象の間に関係性を見出して因果推論を働かせる力が必要です。私もそうだったのですが、どうすればよいか、どのような施策を打てばよいか、と「How」を考えがちでした。しかし、それは問題の対症療法にすぎず、根本治療ではありません。
人事は目先の施策(How)を考えるだけでなく、「なぜこれが起きているのか」「この課題の根本は何か」といった「Why」を問う姿勢を持つことで、経営層に信頼される人事になります。
「Why」を問う視点は、日々の業務レベルにとどまらず、人事の仕事全体を構造的に捉えるためにも重要となるでしょう。
人事という仕事の本質は、人を通じて会社を変えることです。AIが発展しても、問いを立て続けられる人事こそが、これからの時代に価値を発揮していくと考えます。



